停電と停滞、そして沈滞へ

フワです

2011年03月23日 16:17

古川祭り(そして神岡祭り)が「神社での神事以外は中止」となった事を知りとても残念に思います

職人として古川の祭り屋台の修復にも関わったから、という立場からではありません

他にも各地で「自粛行動」の連鎖が続き、これでは日本中が停滞どころか沈滞してしまう
と、そう思ったからです

勿論、「今それをやるのはどうか」と思うことも中にはあるでしょう

いまだに光明すら見えてこない現状の被災地への配慮は理解できるし「祭り」どころじゃない気分というのもわからなくもありません

「祭り」はあくまで「神事」であり、そもそも観光の為ではありません
だから「粛々と行う」というのも決して間違いではないのかもしれません

ただ、「祭り」をしないことによって何かプラスになることがあるのでしょうか

残念ながらマイナス要素しか思い浮かびません

中止によって被災地の誰かが喜ぶわけではないし、節電という意味での電力的影響もプロ野球のナイターほどはなさそうです
一方、少なからず街を(一時的だとしても)活性化してきた「祭り」における経済効果はマイナスとなり、そんな寂しい気持ちのままどんな「神事」を行うというのでしょうか

被災地に居る人たちは想像を絶するほどの苦しい状況の中、何とか生きていこう、少しでも希望を持とう、前を向こうと必死になっていると思います

なのに応援出来るはずの遠方の地で「停滞」もしくは「沈滞」していては何も進めないのでは、と

そんな風に思うのです


先日、計画停電最中の東京へ用事で出掛けることがありました

計画停電により、デパートの終業時間が早まり、24時間営業のコンビニも看板の灯が消え、いつもより寂しげな雰囲気があったがそれでも、街は人々の活気で賑わい、休日を楽しんでいる様子に変わりませんでした

それが良いコトなのかどうかわかりません

でも少なくとも「沈滞」はしていなかったし、経済は動いているように思えました

もしも、こういった楽しむことが「不謹慎」だとしたら何も出来ませんしそれこそ「観光」もしなくなり、経済も動かないと思います

今現在、原発で不安が続く地方では野菜にも影響が出てきて今後の風評被害も気になるところですし、野菜の高値が予想されるなど決して他人事ではないのです

色々なところへの経済的打撃は今後も続くでしょうし、放射能値が気になって外出も控えるという動きが出てきたらそれこそ「沈滞」するばかりです

たとえば酒を飲んでどんちゃん騒ぎをするのが祭り、とは思いません

飲まずにやってられるか、というなら道端で宴会をするような光景をなくして見えないところで飲めばいいのです

配慮するなら、他に方法はいくらでもあるのではないか、と思えてしょうがないのです

よそ者が口出すことではないし、主催者の方々も苦肉の決断をされたかもしれません
ですが、祭り屋台も神輿も出ない「古川祭り」など「祭り」じゃない

...と言ったら言い過ぎでしょうか




関連記事
言霊につつまれて
AUGUST 2002
研修旅行でした
祭り屋台と観光地飛騨高山
ウルトラマン、と内面から生み出される造形
メアリーさんてダリだ?
暑中お見舞い申し上げます
Share to Facebook To tweet